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キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?

キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?
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今回のテーマは、キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?と題してお伝えしてまいります。

キングダムで秦国が繰り広げる中華統一戦争の最大の敵と言えば、趙国の新三大天・李牧と言い切って差し支えないと思います。

始皇三年紀元前244年の馬陽防衛編、秦国軍総大将は王騎将軍!

副将蒙武の失策を助け趙軍を追い詰めたにもかかわらず釈然としない王騎将軍は敵方にまだ見ぬ策略の匂いをかぎ取っていました。

そこに突如として趙国北方の騎馬大隊を率い現れた趙国の新たな若き三大天である李牧!

敵を窪地に追い詰めたかに見えた秦国軍は逆に李牧軍に挟み撃ちにされ絶体絶命の状況追い詰められたのです。

その死地打開に王騎将軍は敵のもう一人の三大天龐煖と一騎討を繰り広げるも謀略に敗れ…生に幕を閉じ死亡という事態に!

キングダム史上ベスト3に必ず入る名場面ですね。

実はこの戦いが李牧の初登場になる馬陽の戦い、紀元前244年のことでキングダム単行本で15巻での登場でした。

ここに一つしっかりとベンチマークを付けて置きましょう!

後に始皇帝となる秦王嬴政の年齢はこの年15歳でした!

従って同い年と言う設定のキングダムの主人公・信も馬陽参戦の時は15歳という事になります。

ここを時間軸のベースに流れを見ていきたいと考えております。

そして秦国最大の敵である李牧の死亡の時期を見ていきたいと思います。

それでは、キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?早速進めてまいりましょう。

 

キングダム李牧の最後は何巻の何話?

紀元前244年の馬陽のキングダム単行本15巻にベンチマークを置きましたが、実は馬陽は史実ではなくキングダムオリジナルストーリーなのです。

史実(廉頗藺相如列伝第二十一)によると、この頃の李牧は趙国北方の守護神として匈奴から国境を守る任についていました。

民を慈しむ考えの李牧は他の将軍のようにいたずらに国境を越えての匈奴と交戦を好まず、防衛に徹していたため時の趙王から疎まれ1度雁門の任を解かれています。

しかしその後の将軍たちは李牧とは真逆の侵攻策を取ったため逆に匈奴に攻め込まれる羽目となり、民を疲弊され且つ領土も失う事になってしまったのです!

その為に過ちに気が付いた趙王に再三の懇願をされた李牧は北の守護神として返り咲いたのです。

李牧の方針は変わらず国境防衛でしたが、前任者の時に勢いづいた匈奴が再三攻め込んできたため満を持してお得意の伏兵等の策略を持って相手を挟撃し十余万の騎兵を討ったと記してあるようです。

馬陽の序盤で山の王・楊端和が秦王嬴政に告げたあの謎の20万の匈奴の死亡を伝えた戦いです。

この匈奴との一戦も紀元前244年の出来事という事になります。

そしてその翌年紀元前243年には趙王の命により李牧は燕との戦いに入り、武遂や方城を侵攻したと同書に記載がされています。

ここで李牧の年齢にもマークを入れておきましょうか!

実は李牧は出生が不詳で事績の割に正確な年齢が分からない人物なのです。

故にキングダムの他の登場人物との比較で様々な考察ななされています。

李牧の懐刀を自任する傅抵:合従軍編の函谷関(紀元前241年)で初登場し自ら二十歳そこそこと名乗っていたことから…ベンチマークした馬陽(紀元前244年)では18歳と考えられます。

李牧の盾を自任するカイネ:李牧の腹心の匈奴と国境を接する雁門出身の女剣士で李牧を慕っている…傅抵から将来の嫁と勝手に言われていることから同年代と考えて差し支えないと思います。

李牧はカイネとの年齢比較から10歳違いと考察されることが多くその根拠として紀元前255年戦いに敗れ家族と友人を失い山中を彷徨った挙句に龐煖と巡り合った李牧の姿、そしてもう一つ魏国の呉鳳明が同年代の李牧と桓騎をライバルと言っていることが引き合いとして出されます。

つまり李牧の年齢は、ベンチマークした紀元前244年初登場時28歳だったという事になります。

 

キングダム李牧の最後を死亡時期から考察!

簡単に李牧の生まれから死亡までの年表を作成してみましょう。

  1. 出生:紀元前272年 0歳。
  2. 龐煖と山中で会う:紀元前255年 17歳。
  3. 匈奴との戦い:紀元前244年 28歳。(将軍に返り咲く)
  4. 合従軍:紀元前241年 31歳。(史実では李牧不在)
  5. 鄴攻め:紀元前236年 36歳。(史実では李牧不在)
  6. 平陽の戦い:紀元前234年 38歳(史実では李牧不在)
  7. 宜安・肥下の戦い:紀元前233年 39歳。(秦国に大勝し大将軍に任じられる)
  8. 番吾の戦い:紀元前232年 40歳。(秦国に再び勝利し武安君に任ぜられる)
  9. 秦の趙攻略戦:紀元前229年 享年43歳(時の趙王による誅殺により死亡)

少しだけ注釈を付け加えます:紀元前244年の馬陽の戦いはキングダムのオリジナルストーリーであることから年表への記載を避けましたが、その頃から紀元前233年以前に李牧が趙国中央軍のトップとして秦国と戦ったという史実は無いのです。

李牧がその力を趙王から北辺の功績を認められ大将軍として趙国軍トップになったのは実は宜安・肥下の戦いからなのです。

そうはいっても秦の統一戦争を一時的にでも退けたのはこの李牧とこの後の楚の項燕の2人のみであることは特筆すべきこととして記しておきます。

では年表から李牧最後の死亡まであとどれだけの紙数が必要になるのか見てまいりましょう。

③の紀元前244年、同年に興した馬陽の戦いが終結したのが16巻です。

キングダム史上に燦然と輝く名作の16巻です。

王騎将軍がその最後・死亡してしまいます。

この王騎将軍の死亡を持ってキングダムの読者をやめてしまった人もかなりの数だったとお聞きしています。

古くはあしたのジョーの力石、近いところでは鬼滅の刃の煉獄さんに匹敵する名場面だと思います。

そこから今の宜安・肥下の戦いが紀元前233年です!

ここまでが年数にして11年、そして漫画の巻数にして17巻~67巻でまだまだ物語の終息の兆しが見えません。

おそらくは76巻がキングダム連載17周年を巻頭カラーで飾った746話までになろうかと思います。

そして今まさに桓騎将軍人気でキングダムが動いており、史実通り展開を急ぐわけにもいかない状況も見て取れます。

李牧の最後の前に桓騎将軍の最後があとどれだけの紙数が必要になるのでしょう?

>>桓騎将軍の最後についてはこちらから!

キングダム11年の歳月で50巻を費やしているのです。

桓騎将軍が最後を迎えてから4年後の紀元前229年に李牧死亡のXdayは訪れます。

その間、番吾の戦いと秦による趙国との最終決戦である王翦を総大将とした趙攻めがあります。

中々検討も付きませんが単純計算をするとこうなります。

50巻÷11年=1年につき4.5巻となります。

そして今から4年後となりますので?

4.5巻×4年=18巻を上乗せして李牧御大が享年43歳でその波乱の人生に幕を下ろし死亡することになります。

現在67巻735話に上乗せすると85巻933話に李牧が最後を迎えると推察したいと思います。

 

キングダム李牧の最後・死因は史実通り?

宜安・肥下の戦いと番吾の戦いで略奪された国土を回復した李牧は時の趙王幽繆王から武安君に任じられます。

しかし李牧の輝きもそこまででした。

李牧とその盟友である青歌城主・司馬尚の力を恐れた秦王嬴政とその将軍たちでした。

そして王翦将軍が李牧の相手となった時に、謀略で幽繆王の奸臣の郭開と幽繆王の母の悼倡后にも賄賂を贈りその讒言によって李牧は幽繆王から遠ざけられてしまいます。

 

李牧の死亡は処刑って本当?

趙国軍を掌握し人気の高かった李牧を内心恐れていた幽繆王は、李牧を疑いあらぬ讒言を聞き入れてしまったのです。

そして李牧を更迭の憂き目にあうのでした。

しかし王命を拒んだ李牧は、王により秘密裏に捕らえられ誅殺され死亡することになるようです。

そして李牧の死亡とともに、盟友であった司馬尚も解任・更迭されたのです。

これにより趙国の軍事力は大幅に弱体化し、李牧が死亡した後3ヶ月で首都邯鄲は陥落し幽繆王も捕らえられ、ここに趙国はついに滅亡したのです。

紀元前228年の事でした。

 

キングダム李牧の最後は味方の裏切り?

史実での李牧の最後、死亡の場面はとても悲しい状況で終わっています。

キングダムでも李牧は、このあまりにも悲惨なこの死亡のシーンで最後をむかえることになるのでしょうか?

李牧は古代中国の戦国時代では、秦の白起と王翦・趙の廉頗と並ぶ戦国四大名将の一人としてー守戦の名将ーと位置付けられています。

それはやはり匈奴から中華を守った事と秦の独立戦争に対して2勝無敗であることから来る最大級の賞賛だと考えられます。

奸臣・郭開による李牧の讒言はキングダムの方では合従軍の後始末で一回登場している場面です。

キングダムには史実を曲げないと言うルールを持ちながら王弟成蟜の反乱のように時をずらした形で描かれることが度々あります。

史実での李牧は秦国に一度も負けていません。

その滅びゆく大国の英雄がそのような最後で死亡をむかえてはキングダムファンは黙っていないのではないでしょうか?

ここは別の最後の花道を考えて頂けないものかと…原泰久先生何とかなりませんか?

 

李牧の最後は王翦の謀略?

李牧の最後である死亡シーンを考察するにあたってキングダム上ではもう一つファンの皆さんから取りざたされていることが有るのです。

史実で趙国を滅亡させその後も秦国の統一戦争で一番功績が高い王翦将軍は、李牧とも並び称される戦国四大名将の一人とされています。

その名将をキングダムでは序盤から隙あらば王の座を自ら狙っている胡散臭い将軍として描かれていました。

実際は王翦将軍の言動はキングダムとは逆のようです!

秦王嬴政の猜疑心を恐れ常に秦王の心根に気配り心配りを欠かさなかった将軍として書かれているようです。

最後に楚も滅ぼすことになる大将軍の王翦将軍が…相手の内部崩壊を呼び起こすのも立派な戦略ではあるのですが、宿敵李牧に対してもう少し別の始末の付け方があるのではないかと勝手に考えてしまうのです。

謀略⇒全うな戦略による無血開城のような?

例えばこうです。

趙国王室は腐敗政治が横行し王室も後宮も快楽に溺れる者共の巣窟と化していたため既に趙国王室に国を治める力は無かった。

そういう時に古代から中国では易姓革命と言う考え方で平和裏に天命が禅譲されてきました。

新しい姓の王朝が天の意思により次の時代に君臨するという考え方です。

徳を無くした王が退き、新たに徳を持つ者が天命を持って王として迎えられる。

それをアレンジすれば簡単にファンの皆さんが納得しそうな物語が描けそうですが、いかがでしょうか。

 

まとめ

今回は、キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?と言うテーマでお伝えしてまいりました。

歴史に名将として名を刻む李牧と王翦の2人!

史実での李牧は秦に負けたことが無く、また楚の項燕とともに歴史上2人のみ秦の独立戦争を退けた経験を持ちます。

この中国を代表する名将李牧の最後と、最初の中華統一に最大の貢献をする名将王翦の2人の戦いは潔く華々しいもので有って欲しいと思うのです。

歴史上で李牧が最後をむかえるまで、今の連載746話~数えてもまだ4年も有ります。

単純計算だとあと18巻上乗せして李牧の最後という事になりそうです。

英雄の死はやはり刑死ではなく時代の流れの避けて通れないものとして描かれてほしいというお願いを記載しております。

そしてそれは古代中国らしく易姓革命の理論の中にヒントが隠されていると思うのです。

新王朝は徳を無くした全王朝に変わるしかなかった…それが天命であった。

易姓革命はこの理論のため往々にして前王朝の最後を悪く書く傾向は否定できません。

李牧のような忠臣を殺すような腐りきった趙王朝だったから李牧の死亡した後3ヶ月で滅びるしかなかった…これはどう思われますか?

この史実は事実でしょうか?

それでは、キングダム李牧の最後は何巻の何話?死因は史実通り味方の裏切り?これで終了にしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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