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王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!

王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!
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今回のテーマは、王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!と題してお伝えしてまいります。

漫画キングダムでは秦国六大将軍の第三将として描かれている王翦…その実像との違いに最後の姿を見て行くことで迫って行きたいと思います。

中華四千年の歴史の中で最大級の覇権争いが続いた春秋戦国時代に生き、戦いに明け暮れた将軍の中で王翦ほど大将軍と呼ぶに相応しい人物は他にいないのではないでしょうか?

最終的には長きに渡る中華騒乱の世を収めた秦王嬴政…後の始皇帝の懐刀として統一戦争を戦い、最大の武功を残した王翦の最後は果たしてどのようなものだったのでしょうか?

それでは、王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!早速進めてまいりましょう。

 

王翦キングダムの最後は何巻?

始めにキングダムにおける名将・王翦がどのように描かれているのかから見て行きましょう。

キングダム本誌に王翦が登場したのは19巻201話、山陽の戦いにおいてでした。

中華の交通の要衝であった山陽(当時は魏国の領土)を押さえることは秦国にとって積年の念願でした。

その為に、時の秦国中央軍を率いた白老こと蒙豪将軍が遠征することとなりその副官として王翦は初登場しました。

そしてかつての趙国三大天で魏国に亡命中だった廉頗と刃を交えたのです。

どちらかと言うと凡庸な将軍であった蒙豪が大将軍に昇りつめたのは、かつての秦国六大将軍級の副官を2人抱えていたからとも言われていました。

その一人が王翦であり、もう一人が野党上がりの桓騎…後に2人とも新しい秦国六大将軍に昇りつめています。

山陽の後の王翦は合従軍戦において山岳戦が得意な燕のオルドを逆に山で追い詰め無力化し、函谷関の戦いにおける勝利に決定的な武功を上げたのです。

その後は統一戦争の最前線…趙攻めにおける総大将を務めています。

朱海平原の戦いでは李牧を征し、戦争目的で有る鄴の城を始め11の城を落としたのでした。

しかしその後は李牧の知略のせめぎ合いで一進一退を余儀なくされているところで、宜安城から肥下の戦いでは盟友である桓騎が命を落とす事となりました。

更にはその翌年、今度は王翦自身が番吾の戦いで青歌城主の司馬尚に追い詰められる事態となるのですが…?

 

六将王騎将軍の本家筋の当主・王翦?

キングダムにおける絶対的カリスマの”ココココ”の笑い声でお馴染みの王騎将軍…。

その王騎将軍は秦国における武官の名家の出身なのですが実は分家だと言うのです。

これは王騎将軍を師と仰ぐ主人公の信とライバルとなる王賁の会話で明らかにされることです。

その分家・王騎将軍の本家筋の嫡男が王賁であり、現当主がその父である王賁だと言うのです。

つまり代々秦王室に仕える名門の武官ということになるのです。

 

自ら王となりたい王翦をどう評価する?

その名門の出身故でしょうか、実は王翦にはある野望が有ったのです。

ある野望とは自らが王となり中華に理想国家を造り上げることでした。

その事は何度か王翦自らの口で語られている場面が描かれています。

一つは先ほども登場した朱海平原での戦いで…まさかの李牧を理想国家建設の為にスカウトしたのです。

流石にこれは李牧から完全拒否された上に侮蔑の言葉まで浴びていたようです。

このやり方は王翦の定番のやり方らしく、現在王翦軍の第一将となっている亜光や他の将校たちも王翦によるスカウト組のようです。

この野望、史実の王翦から見るととても違和感を感じる上に変態チックにも見えてきませんか?

史実では中華最大級の名将である王翦とのイメージがかけ離れすぎていて、中国の方たちは違和感を感じておられるらしいです。

何故、実像と漫画の虚像がここまで食い違ったのかは後半に見ていきたいと思います。

 

キングダム王翦の素顔の謎?

キングダムの王翦の見た目で一番の特徴と言えば、兜の下で顔を覆った鉄仮面ではないでしょうか。

この鉄仮面…果たして何のためにやっているのでしょうか?

若かりし頃の戦闘による傷を隠しすためと言う意見が多いようですが、真相は土なのでしょう。

僕の意見としては、やはり王となる野望を持つ身で素顔を晒すという危険を回避したかったのではないかと考えています。

更には鉄仮面がイメージとして広がれば、影武者を置くことや敵を撹乱することなどにも使えて戦略上優位に立てることの他に、ギリギリの攻防では命を守る事にも直結するのではないでしょうか。

 

史実でも常勝将軍の王翦!

“勝つ戦以外に興味はない”…これは或る意味戦術としては最上の手と言っても過言ではないでしょう。

確実に勝ちを重ねて行けば次には更に大きな敵を付き従えて行けることになる…。

それを繰り返して行けばいつか必ず最大派閥を率いて最強の存在として君臨出来ることに繋がるからです。

史実の王翦もここだけは一緒で負けたことが無く、司馬遷の史記でも皇帝たちと同じように個別の項目で記載があるほどの英傑として扱われているのです。

 

キングダムで王翦の最後は描かれる?

その王翦が史実では登場していない番吾に総大将として登場した上で敗北どころか、命の危機まで感じさせるような状況に追い込まれています。

常勝将軍が番吾で負けてしまうのか…今後の展開に注目が集まるところです。

王翦の盟友・桓騎も史実では2通りの最後が描かれているようです。

一つは”戦国策”…キングダムではこちらが採用され肥下の戦いにおいて戦死という形で最後をむかえています。

もう一つ史記”では燕に逃れ”樊於期“と名を変え生き永らえたということなのですが… 桓騎(史実では桓齮)が肥下城で敗れたことは事実のようです。

その年が紀元前233年となり、キングダムでは珠玉の名場面として69巻・752話の”聖地へ“で描かれています。

しかし史実では不世出の名将であり、キングダムでも常勝将軍の王翦が番吾で死ぬことは無いでしょう。

王翦敗北についても第一将の亜光が名実ともに盾となり”青歌と言う隠し玉に負けたのは自分たち将校であり、王翦は李牧に負けていない“と言うロジックを打ち立てたのです。

そう考えると王翦は秦国による中華統一後も生きて天寿を全うしたと思われ、最後が描かれるとすれば最終巻で間違いないのではと思います。

 

キングダム最終巻で王翦の最後が描かれるのは142巻?

ではキングダムの最終巻は…まだ一国も滅びていないにも関わらず70巻越え…予想するしかありません。

キングダム1巻が秦王嬴政紀元前259年2月18日生まれが14歳の時で紀元前245年の事と考えました。(ちなみに主人公李信は秦王嬴政と同い年と言う設定です。

そこから紀元前233年で71巻…秦王嬴政は26歳…中華統一を成し遂げるのが紀元前221年秦王嬴政は38歳…更に始皇帝没年は前210年9月10日49歳の時のことになります。

始皇帝が14歳から26歳の12年間で71巻…中華統一までこの後12年かかります。

分かりやすいです…キングダム始皇帝の年齢からみれば丁度71巻が折り返し地点です。

つまり最終巻=王翦の最後が描かれるのはズバリ142巻ではないでしょうか?

 

王翦キンぐダム史実ではいつ死ぬのか調査!

記事後半では一代の英傑、名将王翦の史実について調査をしてまいりましょう。

戦では負けなしの将軍で、不老不死の妙薬に恋焦がれた始皇帝の懐刀であってもその死からは逃れ得なかったことは明らかです。

大方の史実を確認すると王翦は天寿を全うしたのではないかと考えられます。

しかしその没年は不詳となっており、定かなところは分かりません。

出来る限りの史実を見て回り予想を立ててみたいと思います。

 

戦国四大将軍に名を連ねる真の名将・王翦!

白起・廉頗・李牧・王翦、この四人を称して戦国四大名将と呼びます。

「起翦頗牧、用軍最精。宣威沙漠、馳譽丹青。(起・翦・頗・牧は、軍を采配することに最も長けている。その力を匈奴沙漠に示し、画にも残されその栄誉は今に伝わっている。)

戦国四大名将は南朝梁代に考案された”千字文“に記載されているのです。

“千字文“とは漢字を始めて学ぶ人の為に考案された手習い書で1文字も重複しないと言う神業的な文章で、更に韻律を踏むように作られたようです。

その為”起翦頗牧“という文字も漢字を選ぶことの方が優先されたと言う可能性も無いわけではありません。

しかし、王翦の戦歴を見れば誰もが納得するのではないでしょうか?

戦国一の名将で有る事を!

 

李牧を追い落とした王翦の手練手管!

李牧も史実とキングダムでは大きな食い違いがある将軍です。

李牧が趙国北の辺境で十数万の匈奴を打ち払ったのは史実に有るようですが、秦との戦いに参戦するのがキングダムだと早すぎるのです。

実際李牧が秦と戦った初戦は紀元前233年の事。

つまり宜安城~肥下城での戦いからなのです。

従って桓騎桓齮)を肥下城下で倒したことは史実に沿った事なのですが…合従軍を率いたり朱海平原で王翦に敗れ失脚したということもなかった事のようです。

その後その功績で武安君に任じられ、番吾で再び秦軍と戦い破った上に過去に奪われた土地も奪還しているのです。

しかしこの番吾で戦ったのが王翦だと言う記載はなく、誰が総大将だったのかも明記されてはいないのです。

それからの秦国は李牧に正面から李牧に当たることはやめた様子が見て取れます。

その後から登場したのが、我らが王翦…趙国の奸臣・郭開を賄賂で囲い込み李牧と司馬尚を謀叛人に仕立て上げたのです。

結果李牧は幽繆王に誅殺され司馬尚は更迭の憂き目にあったのです。

つまり王翦はこの時代に有って、既に高度な情報戦にも長けていた知将でもあった事がわかるのです。

 

楚攻略戦で王翦が60万の大軍と褒美を望んだ理由は!

ここはキングダムファンにもよく知られた人気のある件ではないでしょうか。

秦の統一戦争のクライマックスとも言える場面です。

大国楚の攻略を決めた秦王嬴政は王翦と李信に下問するのです…楚を破るには何人の兵が必要かと?

既に老境に入った王翦は60万の兵が必要と答え、李信は20万で打ち破りましょうと答得ました…。

60万もの兵を一人の将軍に預けることも危険と考えたのでしょか…秦王嬴政は20万の兵を李信に預け楚攻略戦に踏み出したのです。

しかし結果は楚国の名将項燕に大敗を喫し李信は7人の将軍を失うこととなるのです。

そしてお鉢が回ってきたのは王翦でした…60万もの兵を与えられた名将王翦その気になれば秦王襲いその取って返す刀で楚をも打ち破れたかもしてません。

この辺りの史書の記述をアレンジしたのがキングダムにおける王翦の野望として描かれたのではないかと思っています。

しかし実際の王翦は秦王嬴政に疑われることを極度に恐れ、何度も何度も勝利した時の褒美をねだったと言います。

自分には野心は毛ほどもないと言うわけです。

 

名将王翦が天寿を生きた理由は?

そして60万もの兵を率いて楚に遠征する王翦は蒙武を従えて行く事になるです…そしてその戦う相手は元々が楚の公子で有った昌平君が母国に戻り王となっていたのです。

昌平君がキングダムのラスボスでは、と言われる所以です。

そして王翦は昌平君に打ち勝ち凱旋を果たすのですが、秦王嬴政の猜疑心をよく理解していた王翦は早めに引退を申し出ることで”許された”ようなのです。

李信が20万と言い、王翦が60万と言った時に秦王嬴政は王翦が王翦を疑ったと言う話は史実にも記載がある内容です。

その後も含めてあくまでも秦王嬴政に対し従順であることを貫き通すことにより王翦はこの時代の武将としては珍しく天寿を全うすることが出来たと言われています。

 

まとめ

今回は、王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!と言うテーマでお伝えしてまいりました。

キングダムに描かれる王翦と、史実での王翦がどのように違っているのかをご理解いただいた上でその最後がどのようなものであったのかお判りいただけましたか?

キングダムの表現で微妙な部分は多分有り、王翦の生涯も主の秦王嬴政との関係性を考えずして理解はしづらいでしょう。

例えばキングダムの秦王嬴政が法治国家を目指すと言う件が有りますが、多分に先進的に感じている読者も多いのではないでしょうか。

しかし実情は全く違い、この頃の法と言うものは天命を授かった天子の存在を強化するためのもので有り、中華の歴史に連綿と連なる天命思想を理論的に後押しする元とも言われています。

更にこの思想は天子が持つ徳こそが統治者たる資質で有り、徳を無くした天子は天命から外され別の者が天命を負うことになる易姓革命の考え方に変わって行くわけです。

中華を形作ってきた国々が今でも人治国家と言われる所以もここにも有るのではないでしょか?

けっして悪い意味だけではなく良い側面もあることは記してだけおきたいと思います。

これで、王翦キングダムの最後は何巻?史実ではいつ死ぬのか調査!終了とさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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