今回のテーマは、キングダム韓を滅亡させる将軍は?史実から秦軍の韓攻略を考察!と題してお伝えしてまいります。
キングダムが古代中国の春秋戦国時代を舞台に秦国の中華統一戦争を題材にして漫画連載が始まったのが2006年1月26日のことでした。
それから17年と数か月が経過しました。
また主人公の信はもう一人の主役後の始皇帝である秦王嬴政と同い年の設定ですから15歳で業界デビューを果たし、連載で終わったばかりの趙攻め宜安・肥下の戦いが紀元前233年で26歳となっていてます。
そこから換算すると漫画の中では11年が経過したことになります。
そしてこの物語の主軸は史実にもある秦国による初めての中華統一と考えても良いでしょう!
戦国七雄と呼ばれる7国がしのぎを削って戦う時代を統一するという一大歴史叙事詩となるわけです。
そして連載が始まり17年、漫画の中の世界は11年が経過がしましたが秦国はまだ1国も滅ぼしていないのです。
果たしてキングダムではどのような展開で誰が総大将としてまず最初の1国を滅ぼすのか?
それでは、キングダム韓を滅亡させる将軍は?史実から秦軍の韓攻略を考察!早速始めてまいりましょう。
Contents
キングダム韓を滅亡させる将軍は?
騰様かわいすぎる登場シーン①
キングダムの1期のあのストーリーの中で、あの2人の空気感いいなぁ…!!騰様、王騎将軍に呼ばれた時のお返事顔が基本的にいつも嬉しそう…。それだけ将軍のこと尊敬しているのに、結果見に行かないのも面白い。可愛い。推せる!!! pic.twitter.com/qpPnEfmVON— すみー。 (@mirkalt) April 16, 2023
史実で秦国国王である嬴政が中華統一を志して中原に兵馬を展開させたのが紀元前236年の趙国への侵攻である”鄴の戦い“からと言われています。
その後紀元前234年の”平陽の戦い”と秦国による趙攻略は順調に進んでいるかに見えました。
しかし趙攻略戦もこれからという紀元前233年”宜安・肥下の戦い”とその翌年の”番吾の戦い”で秦は2連敗と趙攻略で大敗をしてしまったのです。
秦国が2連敗をした相手の総大将が史実でも戦国四大名将の一人に数えられる”李牧”その人でした。
因みに戦国四大名将とは他に白起(秦)・王翦(秦)・廉頗(趙)でキングダムでもおなじみの名前が並びます。
この中で史実でも王翦将軍は統一戦争“鄴の戦い“を初戦勝利に導きその後も趙攻略、楚攻略と大国との戦いを勝利に導いている秦国統一に大きな功績を残す大将軍なのです。
その王翦でも、秦国統一戦争で最初に敵国を滅ぼすという栄誉は得ることが出来ませんでした。
ではその秦国の統一戦争で最初に敵国を滅ぼした将軍は誰なのか、そしてどの国を滅ぼしたのか見ていきましょう。
キングダム韓攻めの総大将は六大将軍に騰!
秦国の統一戦争で最初に敵国を滅ぼしたのはきちんと史実に残されています。
【韓攻略】
- 紀元前230年、内史騰が10万の軍を率いて黄河を南下した。
- 韓の国都新鄭を落とし、韓王安は降伏し、韓は滅亡した。
- 韓の旧領は秦の潁川郡となった。
秦国が最初に滅ぼした国はこの時代の戦国七雄と呼ばれる七国の中でも一番の小国”韓”の攻略でした。
そして総大将として兵馬を率いたのが”内史騰”…そうですキングダムでは新六大将軍の第二将となる”騰”将軍なのです。
漫画キングダムでも最初の頃はかつての秦国六大将軍”王騎”の副将として控えめに登場していました。
映画でも同様でした…誰が演じていたか…そうです王騎将軍”大沢たかお”さんの側にいつも控えて”抱拳礼”の形で”はッ”と言っていた”要潤”さんと言うキャストでした。
でも王騎将軍戦死後はその軍を引き継ぎ、お得意の”ファルファル剣法”で大活躍をしているのと自らの副官とした”録嗚未”をいじりたおすなど存在感を示しています。
またかつて仕えていた王騎将軍の物まねは大将軍となった今でもやめることが出来ないようです。
そして上り詰めた新六大将軍第二将の座のまま統一戦争最初の武功をあげたのです。
因みに内史とは官職名だという事です。
騰将軍の武力を調査!
ではキングダムでの公式武力などでその強さを見ていきましょう。
騰将軍:公式武力96、指揮力95、知力94、経験値S、録嗚未をいじりたおす!と有ります。
ついでに・・・?
録嗚未:公式武力92、指揮力90、知力82、経験値A、騰にいじられる!と有ります。
いじる・いじられは相思相愛なのでしょうか?
でも一回戦いの後側にいる録嗚未将軍を騰将軍は死んだものとして冥福を祈っていましたよね!
騰将軍で特筆すべき武功は合従軍戦で大国楚の第一軍の将であったあの特徴的な”蟹頭”の臨武君との一騎打ちで王騎を思わせるような戦い方で勝利した事!
そして著雍(ちょよう)の戦いでは敢て若手王賁の策を採用し飛信隊信・楽華隊蒙恬・そして録嗚未軍のを主力として勝利に導く采配を振るったことで軍略の才と指揮力も評価されているところです。
録嗚未の方は、王騎軍のときも騰軍になってからも第一軍を任される猛将で趙の三大天や魏火龍七師などの名だたる武将と刃を交えてぶつかり合ってきた自ら第一陣を駆け部下を鼓舞する勇猛果敢な将軍です。
韓攻略戦でまたこの2人の掛け合いが楽しみですね。
韓攻めの副将は飛信隊の信?
キングダム756話を見ると、騰軍の韓攻略戦には飛信隊が一緒に従軍することのようです。
これは秦王嬴政から直々の命令のようで肥下の敗戦以来、下を向いていた信を慮っての秦王からの友情と見ていいでしょう。
しかし実際のところ、信も今は李信と名乗り大国秦国軍の将軍を仰せつかる身です。
秦王嬴政からのオファーは願っても無い事でしょう。
しかし、実際の韓攻略となると戦国七国の中で一番の小国だけに領土も狭い。
その事から韓攻略と言ってもその実態は隣国も相手にせねばならず軍勢はいくらあっても足りないと言う所が正直のところでしょう。
飛信隊の面々の起死回生の活躍を期待したいですね。
韓攻めに飛信隊の羌瘣は参加する?
さて、皆さんが一番気になる信と羌瘣の事?
羌瘣の妹分である羌礼がキューピットとなり一気にお互いの思いをはっきりと知ることとなりました。
そして肥下の戦いからの離脱戦では自ら名乗り出てまで一番危険な殿(しんがり)を務めた羌瘣の無事の帰還にたまらず皆の前で抱きしめた信!
みんな周知の事実とは言え飛信隊の面々で喜ばぬ者はいませんでした…いやひとり河了貂だけは複雑な心境がその表情に現れてはいましたがその後も気丈に振舞っていたようです。
再び年齢の話になって恐縮ですが、肥下の戦いが紀元前233年、そして始皇帝の生まれ年が紀元前259年。
そして秦王嬴政と信は同い年…という事は肥下で信は26歳です。
そして羌瘣は信の1つしたと言われていますので25歳です。
もう結婚しなければならない年齢?
実際に信のモデルとされる史実の李信将軍の李家にはその後多くの偉人を輩出していることから信は結婚して子宝に恵まれたのは間違いありません。
李信の子孫での出世頭は間違いなく後の中華の大帝国である唐を作った”高祖・李淵”は李信の子孫と言われています。
キングダムでは下僕の出身とありますが、実際は漢民族の嫡流に近い家系なのかも知れません。
また、羌瘣の方も信を助けるための禁術で死の淵を彷徨った時に姉と慕っていた羌象が言っていた良いことが2つあるという事!
それは自らも宣言した2つと合致するものと言われています。
- 大将軍を目指す事!
- 信の子供を産むこと!
大将軍の方は、史実での羌瘣将軍は趙国滅亡の際に大活躍をし燕攻略でも軍を率いて出陣することが記載されています。
その大将軍となった後の遠征が信と結ばれ子宝に恵まれた後だと嬉しいのですが・・・?
そうなると今回の韓攻略戦に羌瘣は従軍しないと見たのですがいかがでしょうか?
実際キングダム756話の出発場面に羌瘣の姿は見当たりませんでしたが…本当のところは土なんでしょうか?
キングダム史実から秦軍の韓攻略を考察!
キングダムは騰と摩論が好きです pic.twitter.com/7xGHt6hFWk
— アリア少佐のヤドック (@sakeyajuAria) April 8, 2021
それでは後半戦、韓攻略の史実と照らし合わせてみましょう。
キングダムはあくまでも史実を大きく曲げないで記載されることが暗黙のルールとなっていますが…本当でしょうか?
実際、キングダム最初の映画の原作となった漫画1巻から5巻の王弟成蟜のクーデターは架空のもので、後々の王弟の反乱とは別物です。
また、キングダムでの最大の英雄である王騎も史実に名前は残っていますがそれほどの活躍をした方では無いようです。
またその王騎将軍が戦死した”馬陽の戦い”も架空の戦いです。
そしてキングダムで一番史実と違っているのが李牧の登場するタイミングです。
実際の李牧が趙国の屋台骨を背負うほどの傑物であったことは間違いありません。
しかし李牧が趙国中央軍の総大将として登場するのは宜安・肥下の戦いからなのです。
それまでは趙国北方の要として対匈奴戦を戦っており匈奴10万人を討ち果たしたというのは史実のようです。
このようにキングダムでは史実に沿った形とは言われていますがその脚色は割と自由に描かれていて、今回の環境略戦もその路線で行くならばかなり多くの面白い脚色が入ることは間違いないでしょう。
史実から韓の滅亡の経緯を調査?
秦国の韓攻略は紀元前230年の事であることは既に記しました。
またその戦いの経緯としては2つの出来事だけが記載されています。
- 内史騰が10万の軍を率いて黄河を南下した。
- 韓の国都新鄭を落とし…。
そしてその結果も2つの事が記されています。
- 韓王安は降伏し、韓は滅亡した。
- 韓の旧領は秦の潁川郡となった。
記載されているのは高名な史書である司馬遷によって編纂された”史記”です。
他の国への秦国からの攻略戦は割と多くの記載が見られるのですが、韓攻略戦の記載はこの要点のみの4項目に主役されています。
これを実際あのワクワク感満載のキングダムにどのように脚色して行くのでしょうか?
騰将軍の韓攻略の戦略をキングダム的考察?
飛信隊・信が宜安・肥下から命からがらの撤退を成功させたのが紀元前233年。
そして秦国が韓攻略戦を始めたのがその3年後の紀元前230年。
これは間が開きすぎているし、韓の秦に対する抵抗も年内に片付いたとあっては中々盛り上がらないのではないでしょうか?
この辺まだ連載前の予測考察の為外れてもご容赦ください。
そうなると、騰将軍が信を引き連れて出発したのはその数年前で描かれるのではないでしょうか?
そして韓攻略にはその国自体の間口が狭いだけに隣国である趙と魏という2か国の干渉を受けることは間違いなさそうです。
更には趙国のまだ見ぬ英傑・司馬尚将軍の存在があります。
史実で司馬尚が記載されるのはあまり派手な場面は有りません。
李牧とともに名将と謳われた事と、幽繆王が趙国宰相郭開の讒言で李牧を処刑したのと一緒に解任・更迭されたとあります。
これは司馬尚を使うのはここしかないのではないか…李牧が失脚し司馬尚を更迭されるのが1年後の紀元前229年で趙滅亡がその1年後の紀元前228年という事から見ればその可能性は大きいでしょう。
キングダム的には司馬尚率いる青歌軍との戦いが一つのクライマックスになるのではと考えます。
また魏国の干渉…魏国も紀元前225年に滅亡しますがその時は既に国として名目は既に立たれており近隣の国も静観するのみでした。
つまり呉鳳明のような屋台骨を既に失っていたことが考えられます。
その呉鳳明が命脈を失ったのがこの戦いなのではないか?
そうなるとこの魏との攻防戦も呉鳳明との知略戦に魏火龍との力くらべと多彩な描き方があるように思われます。
そして一大スペクタルとなるのが世界的大河である史実にも記載のある黄河の渡河!
これが最大の難所としてスペクタル巨編として描かれる可能性が高いと思われます。
キングダムと史実で韓攻略の違いは?
キングダムと史実との韓攻略の違いを見ていきましょう。
まず、韓への攻略を始めた年が史実では紀元前230年に攻略開始し年内に片付いています。
しかしキングダムでは近隣諸国との前哨戦も踏まえて、趙攻めで敗れた宜安・肥下の戦い直後…つまり紀元前233年にはその前哨戦として近隣国とのつばぜりあいを始めるのではと考えています。
また韓攻略に李信将軍が従軍したという記録や事実も無いようです。
実際の李信将軍がどのような位置づけの将軍なのはあまりよくわかっていないのです。
作者の原泰久先生も誰を主人公にするかという時にあまり史実で足跡が分かっていない且つそれなりの身分と思われる将軍としてターゲットとしたようです。
実際に李信将軍は楚国攻略で20万の兵力で楚を片付けると宣言し歴史的大敗喫した事があるのですが、その時も実際には暴君と恐れられていた秦王嬴政から大きなお咎めは受けていないのです。
その点と先ほど見た李信将軍の子孫の活躍ぶりから見ても李信将軍は秦王嬴政から見ても侮れない高貴な血筋であった可能性もあるのではないでしょうか?
韓攻略に話を戻すと、春秋戦国時代の戦国七雄の勢力図はその時代が長かっただけに様々なものが存在していてアレンジがしやすいという事も言えるのではないでしょうか。
それらの古地図を見ると大国である楚が干渉してきても不思議ではない位置関係にも見えます。
しかし実際の秦国に韓攻略は他国からの干渉は史記などの記載には見えないようです。
史実では前哨戦となる秦国の韓攻略戦が有った?
実は1年だけ遡る話になりますが、紀元前234年に秦国は韓を攻めているのです。
その時に韓から秦国に引き渡されたのが有名な”韓非子”です。
韓非子はその名前のまま”韓非子”という著書で今でも法家の代表的人物として有名です。
この韓非子の存在をキングダム的に描いたのが、秦王嬴政の感動的な名言として登場する、人の支配ではなく法が支配する国家!
“法治国家”を標榜する秦王嬴政の言葉に涙した人も多いでしょう。
韓攻略戦ではこの辺の哲学的な論争も見逃せないかもしれません。
また秦国には元々李斯という法律の専門家がいますので、その辺りの論戦も描かれるのかも知れませんね。
そこは僕もとても興味があります。
まとめ
臨武君「貴様は一体は何者だァ!!!!」
騰「天下の大将軍だ!」
雑魚兵「ザワザワ」
騰「フゥーん」
録嗚未「あんたは違うだろ、」
アイキャッチ【キングダム】どーん
騰ジワジワくる😂#キングダム pic.twitter.com/UHMNYE5mp7
— あらち。 (@_Maru_ooo_) May 9, 2021
今回は、キングダム韓を滅亡させる将軍は?史実から秦軍の韓攻略を考察!と言うテーマでお伝えしてまいりました。
キングダムでは史実通りに紀元前233年に趙攻略戦において桓騎(史実は桓齮)将軍が肥下にて李牧に敗北することとなりました。
そしてキングダムではその次の展開として秦国が統一戦争に乗り出して初めて敵国を滅亡させる韓攻略がスタートしたばかりです。
その韓攻略戦争の秦国総大将は6大将軍第二将である騰将軍を派遣することになりました。
そこには趙攻略戦で敗戦したばかりの飛信隊信も従軍するようです。
これから数々の名将との戦いが繰り広げられると思いますが一つ一つの戦いが語り草となるような名勝負が繰り広げられることになりそうです。
それでは、キングダム韓を滅亡させる将軍は?史実から秦軍の韓攻略を考察!これで終了とさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。