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ポニョを考察リサは死んだ死んでない?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?

崖の上のポニョを考察リサは死んだ?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?
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今回は崖の上のポニョを考察リサは死んだ死んでない?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?と言うテーマでお伝えしてまいります。

ジブリ作品の中でもメインキャラのイメージと絵本を思わせるような絵のタッチからほのぼのとしたストーリと思われがちなこの作品!

そう考えて通しで鑑賞しても、一回見ただけではよく意味がつかめない?

かく言う僕も何回かフルで見させて頂きましたがなかなか一筋縄ではいかない難解な作品で、いまだにストーリーの奥にある意味を掴みあぐねている所です。

なんといっても-千と千尋の神隠し-以来宮崎駿氏が7年ぶりに原作から脚本監督まで自ら務めた作品ですから、と言い訳してないで今回こそ作品の意味を確実に考察してまいりたいと思います。

それでは、崖の上のポニョを考察リサは死んだ死んでない?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?早速進めてまいりましょう!

 

ポニョを考察リサは死んだ死んでない?

崖の上のポニョという物語の解釈は大きくは2つに分かれています。

一つは宮崎駿氏が自らも言っていることで、説というよりはその通りの解釈で見れば良いと思います。

それは宮崎駿氏の女性観を映画のテーマにしているということ。

この物語でメインとなっているのはご承知の通り宗介とポニョの小さな恋物語!

しかし、宮崎駿氏が描きたかったのは宗介の母であるリサとポニョとポニョの母であるグランマンマーレだと言われているのです。

この3人の女性はそれぞれ、恋に恋する女性、何物にも負けない強い母性、そして何ものをも取り込んでしまう強欲性の象徴として3者3様描かれているというのです。

そしてその女性観は実は一つの解釈に集約されて描かれていると思うのです。

それはかつてシーターもいつかはドーラーになると言われたように、あるいは千と湯婆婆のように!

そのジブリ作品を貫いて表現される女性観の一つの昇華が崖の上のポニョだというのです。

もう一つは作品を通して死生観を描き表現しているという考えです。

映画の後半に描かれている激しい嵐に見舞われた街は波に飲み込まれていきます。

そして水の中で街は再生されていきます。

この終盤に近いシーンを見た通りに解釈をするらば死後の世界が描かれていて、そうであるならば死というものを通してジブリ流の死生観を表現しているのではないかとも言われているのです。

実際にはどうなのでしょうか、続けて考察してまいりましょう。

 

崖の上のポニョへのTwitterの声は?

崖の上のポニョは女性観を表した作品なのかそれとも死生観を表現するものなのか?

Twitterでファンの皆さんの意見をいくつか見てまいりましょう。

チョウチンアンコウとか、トンネル前の止まれとか、舞台なった鞆の浦とか、個の強いリサとかちょっと参考になりそうな単語が出ていましたね。

いずれにしてもチョット難しい作品だと皆さん考えておられるようです。

Twitterも参考にしながら更に見てまいりましょう。

 

ポニョのリサが最期は死んでない可能性は?

結論、宗介の母親リサが最期に死んだかどうかについては映画では明らかにされていません。

だとするとリサが死んでない可能性もあるのでしょうか?

そもそも終盤の水中の街自体をどう考えれば良いのかでこの作品とリサが死んだのか死んでないのかの理解は大きく変わって来ます。

ここでも大きく2つの解釈に分かれます。

一つはその場面全体が死後の世界で、既に全員死んでしまっているという理解?

こう考えるとリサも死んだということになります。

リサが死んだ後でラストシーンに向かう中でポニョの母親であるグランマンマーレとのやりとりがあるということになりますね。

それはあまりにも不自然です?

もう一つはこれはジブリ流SF的表現?で物語の中では現実の世界だと言う理解です。

こちらではリサは生きていて宗介とポニョの幸せを願う母親に変化していく姿が描かれているということですね。

リサはどちらかというと宗介との関係も母性というより個の関係という感じで前半描かれていますね。

そう考えると、僕は後者の見方に分があるのではないかと感じます?

更に見てまいりましょう。

 

ポニョのリサ最後のセリフのグランマンマーレ意味は?

崖の上のポニョを要約すると次のような物語ですね。

海の女神グランマンマーレと魔法使いのフジモトを父にもつポニョは奔放で自由闊達な魚の女の子!

ある日家出をしたポニョは宗介に助けられた事をきっかけにお互いを好きになってしまいます。

家出から家に連れ戻されたポニョは宗介に会いたくてまた家出を画策します。

その過程でポニョは、人間の世を終わらせ再び海の時代を呼び起こす井戸に命の水を入れてしまいその力を発動させてしまうのです。

それと同時に魔法の力で人間の女の子に生まれ変わります。

そして大きな力を得たポニョは自分の力を制御できずに大きな嵐まで起こしてしまうのですが、その後宗介に出会えたポニョは人間の女の子の姿で宗介に抱きつくのです。

娘が大変なことをしてしまったとフジモトはグランマンマーレに相談にいきますが母は強し全く動ぜず、ポニョが人間になればその力は収まるとポニョが人間になることを応援することにします。

そして宗介の母であるリサと何を相談したかはわかりませんが、海底に沈んだ世界の老人ホームで宗介とポニョを待ちます。

ポニョが人間になる魔法を続けるには一つ条件がありました。

それは宗介がポニョを愛し続けること!

もとより宗介とポニョには異論はありません。

そして宗介はポニョにキスをしてポニョが人間になる魔法は発動されポニョは5歳の人間の女の子に生まれ変わりました。

めでたし!

ラストシーンこそ人魚姫という感じがしますが全体的には日本のお伽噺ですよね?

 

リサ最後のセリフのグランマンマーレの意味は?

グランマンマーレは娘のポニョが人間になる前に宗介にポニョへの気持ちを確認します。

同時に母であるリサに何事か相談をしている場面も出てきます。

これは娘ポニョの幸せを願う母グランマンマーレが娘のために宗介を貰い受けたいという申し入れと、2人が住む場所はやはり人間社会のリサの元で見守って欲しいと迫ったのだと言われています。

このように物語の要約を見るとこの寓話は3人の女性を通してジブリの女性観を題材にしているのだと言う事は明らかではないでしょうか。

冒頭に言った宮崎駿氏の女性観、引いてはジブリの女性観

恋に恋する女性は親子関係よりも個を重んじる宗介の母であるリサを象徴!

何物にも負けない動じない強い母性はグランマンマーレを表し!

何ものをも取り込んでしまう強欲性の象徴が実はポニョ!

この3つの女心の出どころが母性という一つの根源から出ているのは明らかです?

そうなるとリサの最後のセリフ-あなたも、グランマンマーレ-の意味も明確に理解できます。

この言葉はグランマンマーレからの-リサ、ありがとう-という言葉へのお返事です。

2人の母、子供の幸せを願う気持ち即ち母性を表しているのだと思います。

そう考えると母性ってシータをドーラにしてしまうものなのでしょうか?

それはそれで、あな恐ろしや!

 

まとめ

今回は、崖の上のポニョを考察リサは死んだ死んでない?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?というテーマでお伝えしてまいりました。

最後にまとめとして2つだけ伝えさせてください。

この物語の舞台と言われている広島県の鞆の浦にはいくつか都市伝説があるようです。

それはバブル期に高台に出来た今は廃墟となっているホテル群。

その都市伝説は地元では死や憎悪と言った負の感情と直結した噂となっている様です。

映画では、嵐が吹き荒れている時に、そこに向かう人々の姿が描かれているので、地元の人たちはとても違和感を覚えたと言われています。

それがこの物語が死後の世界と結びついた遠因とも言われているのです。

もう一つ、これが一番重要なことかもしれません。

実はグランマンマーレはチョウチンアンコウの化身であると言うのです。

僕たちがよく知っているチョウチンアンコウの姿は、そうメスなのです。

チョウチンアンコウのオスはもっと小さく貧弱で、メスのアンコウにへばりついているうちに同化してしまい、ただの生殖機能が残る機関としての命が残るだけなんだそうです。

これもあな恐ろしや、ですね!

女性は愛すべきものそして地球上で一番強き者なのかもしれません!

ではこの辺で、崖の上のポニョを考察リサは死んだ死んでない?最後のセリフのグランマンマーレ意味は?この辺で終わりたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。