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キングダム肥下の戦い史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?

キングダム肥下の戦いの史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?
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今回のテーマは、キングダム肥下の戦い史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?と題してお伝えしてまいります。

キングダム肥下の戦いは秦王嬴政が呂不韋との政争に勝利した後に宿願である中華統一に踏み出した戦いの中の一つとなります。

実際の史実にも有った戦いで秦の統一戦争で秦国が初めて大敗を喫した戦いでもあるのです。

史実の大局を曲げずに描かれて来たキングダム!

肥下の戦いの前哨戦となる宜安城攻略までは順風の進軍かに見えましたが、敵将の李牧はそう甘くはなかったようです。

趙国奥深く進軍した桓騎軍は趙国李牧軍の31万人の中で孤立するように李牧の謀略により仕向けられていたのです。

この状況下から桓騎軍が死に物狂いで繰り出してくる一手は、それに対し李牧が桓騎をどのように追い詰めていくのかキングダム今後の展開から益々目が離せなくなりそうですね。

それでは、キングダム肥下の戦い史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?早速進めてまいりましょう。

 

キングダム肥下の戦い史実との違いは?

宜安城で秦国の超北部戦線から孤立してしまった桓騎軍には既に逃げ道はありません。

且つ李牧により周到に張り巡らされた桓騎軍包囲網をついて、王翦らの援軍が駆けつけることもままならない状況であることは誰の目にも明らかな詰んだ状態。

且つ宜安の住民たちは隣の肥下城へ疎開したため籠城するにも人質もない。

しかしこの状況下に身を置いても桓騎将軍の心が折れることはありません。

ともすれば諦めかけている部下たちや従軍している将たちに桓騎将軍は話します。

~いつもと同じだ、俺の言う通りにしていれば全部上手くいく~!

いつも通り‐カッコいい‐ままの桓騎将軍なのです。

そして迫り来る李牧軍が気づかぬうちに宜安城を全軍抜け出すのです。

その宜安城を抜け出す前に参謀である摩論に砂鬼一家を呼ぶように命令します。

摩論は再三-お頭、本当に…やるんですか?-と気乗りのしない様子です。

砂鬼一家が呼ばれる時、必ず展開されるおぞましき光景!

桓騎将軍は宜安城をもぬけの殻にするにあたり李牧に一つのメッセージを置き土産とします。

向かう先は宜安城から森林地帯を抜けた肥下城!

そして宜安城に残された李牧へのメッセージは砂鬼一家のおぞましきモニュメントと‐肥下の惨劇を史に刻む!‐と!

肥下城は宜安など今回の戦で住む場所を失った趙国北方の民たちで溢れかえっている場所です。

そこには李牧軍に従軍している将や兵たちの家族も多く逃げているのです。

桓騎将軍はその肥下城で何をしようと言うのでしょうか?

ここまでが、今日現在キングダム連載740話までのネタバレとなります。

今回キングダムの肥下城の戦いと史実にある肥下の戦いの違いを記していくわけですが実際キングダムで肥下城の戦いが描かれるのは2022年12月8日に刊行される週刊ヤングジャンプ誌上からになろうかと思います。

従ってこの記事は、他の関連する最新話ネタバレ記事とリンクする形で追記更新していこうと考えています。

是非、最新話ネタバレ記事と併せて楽しんで頂けたら嬉しいなと思います。

ではまずは、判明しているところから書き進めてまいりましょう。

 

肥下の戦いの史実とは?

まず、史実でいう肥下の戦いから見て行きたいと思います。

  • 紀元前234年、秦の将軍の桓齮が秦軍を率いて平陽で趙軍を大敗させた。
  • 桓齮は趙の将の扈輒を討ち取り、10万の兵を斬首した。
  • 紀元前233年、桓齮は秦軍を率いて東の上党に進軍し、太行山を越えて趙の深部に侵入し趙軍を破り、赤麗と宜安を占領した。
  • 秦軍が邯鄲に迫り、趙の幽繆王は北部の国境の防衛を担っていた名将の李牧を南下させ、趙の全軍を率いて秦軍を攻撃することを命じた。

ここで特筆すべき要チェック事項がいくつかあります。

‐秦の将軍の桓齮‐という人物が登場します。

こちらは前後の足跡から鑑みてキングダム桓騎将軍のモデルと見て間違いないでしょう。

次にこの桓齮将軍は平陽で‐趙の将の扈輒‐を討ち取り何と-10万人-の兵を斬首にしているのです。

そして次重要です。

紀元前233年(始皇帝14年)に桓齮将軍は宜安を占領しているのです。

やっとこの時になり趙の幽繆王は李牧をこの戦いに投入したと史実にはあるのです。

ここは後ほど見て行きましょう。

つまり肥下の戦いとは趙国にとって王都邯鄲を秦の猛攻から守る最終局面の戦いと言っても過言では無かったのだと思います。

 

桓騎将軍は元盗賊ではない?

この春秋戦国時代の史実は主に-史記-と‐戦国策‐と言う中国の歴史書に記載されています。

桓齮将軍のように当時の大将軍であってもその歴史書への記述は完結で詳細は記載されていません。

前項に上げたものも含めての桓齮将軍足跡としては次を参照下さい。

  • 紀元前237年(始皇帝10年)、桓齮は将軍になる。
  • 紀元前236年(始皇帝11年)、桓齮は王翦楊端和らとを攻めて、先ずその周辺の9城を取る。
  • 桓齮はそこに留まり、王翦が一人で閼与・鄴などを落とす。
  • 紀元前234年(始皇帝13年)、趙の平陽・武城を攻めて、趙将の扈輒を武遂で討ち、趙兵の首を斬ること10万であった。
  • 紀元前233年(始皇帝14年)、再び趙を攻めて、平陽と武城を平定した。さらに、赤麗と宜安を攻め、宜安ではその将軍を討ったものの、趙の大将軍の李牧に肥下の戦いで敗れた。
  • 『戦国策』趙策四によれば、桓齮はこの敗戦で李牧に討たれたとされる。
  • 一方、『史記』廉頗藺相如列伝での桓齮は大敗したのち、敗走したと記されている

つまりキングダムのの最大の特徴である元盗賊というのはあくまでも作者の創造フィクションで有ると思われます。

おそらくは平陽における10万人の兵の斬首という事績から冷酷無比⇒極悪非道⇒夜盗・盗賊の類という創造の産物ではないかと思います。

実際の平陽の件は、このようなことが一将軍の判断のみで実施されるという事は当時も無かったようです。

閼与・鄴~平陽・武城を攻め落とし次は宜安・肥下と言う趙国の中枢地帯まで兵を進めた秦国、趙の王都である邯鄲を目前にしての秦国の軍中枢部の意思が働いたのではないかと見られているようです。

 

趙軍の李牧投入は宜安後半から?

秦の統一戦争最初の戦いである趙国王都邯鄲をめぐる攻防の中で描かれるキングダムでは趙国側のリーダーは常に李牧が登場しているようです。

実際直近でも桓騎将軍を宜安に追い詰め孤立させたのは李牧の深謀遠慮と描かれています。

また宜安に孤立した形に追い込まれた桓騎将軍を見て咸陽の秦国軍司令部は-李牧を見くびりすぎていた-とも言わしめています。

また、閼与で戦略を練る王翦軍司令部も情報を寸断され桓騎将軍の動きを李牧に嵌められたと判断しているように描かれています。

しかし先ほど確認した史実では、趙国幽繆王が北の国境警備を担っている李牧をこの一連の戦いに投入したのは桓齮将軍が宜安を占領した後の事と記載されています。

しかし、そこは戦国四大名将と言われている李牧(他には秦の白起と王 翦・魏の廉頗)そこからでも見事巻き返すことが可能だったわけです。

そして桓齮将軍と李牧の決戦の地…肥下へ!

そこでのキングダム桓騎将軍と李牧の熱戦はまだこれからになります。

 

李牧が任された趙全軍は31万人?

前項で見たように、趙国幽繆王は宜安を桓齮将軍に占領されてから李牧に趙軍全軍を率いて秦軍を攻撃することを命じたとあります。

その李牧に任せられた趙全軍の人員は31万人とキングダムには描かれています。

しかし史実にはその人数についての記述は有りません。

実際この兵の数はどうなのでしょうか?

古から軍の人数は最高機密事項の一つとされてきました。

従って例えば歴史書にある人数は全て眉唾物と理解しても良いのではと考えています。

一般的には軍勢と言うものが記される時は実際より多く記述されることが多かったようです。

キングダムでは李牧軍31万人の軍に対抗する桓騎軍は最初14万人で行軍を始めたように描かれています。

そしてその内で肥下に向う桓騎軍の残存勢力は1万とも?

有り得なくないですか?

史書で、その後の秦の統一戦争の中で兵の数が明確に描かれている場面があります。

-『史記』白起・王翦列伝-

秦王嬴政は楚を征服したいと思い対楚戦にどれだけの部隊が必要かを諮問した。李信は、‐20万‐が必要だと語った。一方で王翦は、‐60万‐が必要だと語った。

この辺りの秦の統一戦争の規模を考えると31万人と言う兵は比較論としては考えられなくもないですが実際のところはどうなのでしょう?

かの国は多めに言う傾向が・・・?

いづれにしてもこの趙国北部戦線での兵数は史書には明確に示されていないようです。

 

肥下の戦いに李信・羌瘣は従軍していない?

おそらくはキングダム桓騎将軍はこの肥下城の戦いで命を落とすのでしょう?

李牧の謀で落命する秦の大将軍3人目となります。

王騎将軍・麃公将軍!

2人とも李信(当時信)に思いとともに武具を託しています。

王騎将軍:‐皆とともに修羅場をくぐりなさい、素質はありますよ、信‐そして自らの矛を信に託しました。

麃公将軍:-火を絶やすでないぞォ-そして信に自らの盾を託しました。

そして忘れてはいけない漂も、-俺を天下に連れて行ってくれ-と言い残し信に秦王から賜ったという剣を託します。

李信が桓騎将軍の軍に従軍しているのは、今ではキングダム名物と化した大将軍の“殉職”場面!

その場に李信が居ないとまずいとばかりの従軍のなのではないか?

では史実を見てみましょう。

肥下の戦い:紀元前233年(始皇帝14年)!

この時史実の李信と羌瘣は何をしていたのか?

見て行きましょう。

李信:史実への初登場は?

  • 紀元前229年(始皇18年)紀元前228年(始皇19年)王翦が数十万の軍の指揮を執りと対峙した時、李信は趙の太原雲中に出征した

羌瘣:史実への初登場は?

  • 紀元前229年(始皇18年)、王翦・楊端和と共に、趙を攻めた
  • 紀元前228年(始皇19年)、王翦と共に趙の幽繆王を東陽で捕らえ、趙を滅ぼした。さらに、兵を率いて燕を攻めんと、中山に駐屯した。

李信・羌瘣とも史実に出てくるのは肥下の戦い紀元前233年(始皇帝14年)から4年後の趙国との決戦の時からなのです。

従って李信・羌瘣が肥下の戦い他ここまでの一連の秦の統一戦争のどこに参戦していたかは分かっていません。

またご存じの向きも多いかと思いますが羌瘣は後に李信の奥さんになる女性ではなく、男性の秦国大将軍なのです。

李信・羌瘣とも秦の将軍で嬴政に仕えたことは分かっているのですが、実は生没年不詳で出自・経歴とも詳細には分からない人物です。

しかし李信の方は子孫の系譜は良く知られており且つ大人物を多く輩出おることから作者がこのキングダムと言う物語の主役として適任と考えたようです。

 

キングダム肥料下の戦い桓騎は李牧に負け逃亡する?

2022年12月8日発売の週刊ヤングジャンプに掲載されるキングダムからいよいよ肥下城の戦いが幕を下ろします。

その前線地、宜安城で31万の敵兵の中孤立することとなった桓騎軍!

宜安城を密かに抜け出し森林地帯を踏破し肥下城に最後の決戦の地を求めて移動します。

一方の李牧が決戦の地と決めてかかっていた宜安城におぞましきメッセージを残して!

-肥下の惨劇を史に刻む-!

今後は最新話ネタバレ記事と同様キングダムでの‐肥下城の戦い‐と史実との違いを本記事で実況してまいりますので楽しみにしてください。

 

肥下の戦い史実では桓騎が完敗?

キングダムで始まる肥下城の戦い、史実では肥下の戦いと書き記されています。

  • 紀元前233年(始皇帝14年)、桓齮は再び趙を攻めて、平陽と武城を平定した。さらに、赤麗と宜安を攻め、宜安ではその将軍を討ったものの、趙の大将軍の李牧に肥下の戦いで敗れた。
  • 『戦国策』趙策四によれば、この敗戦で桓齮は李牧に討たれたとされる。
  • 一方、『史記』廉頗藺相如列伝では大敗したのち、桓齮は敗走したと記されている。

さて史実も説が複数あるようですが、キングダムではどのような描かれ方をするのかネタバレ記事と連動して追記して参りたいと思います。

 

肥下の惨劇は本当に有った?

‐肥下の惨劇‐キングダムで桓騎将軍が何を画策しているのかは今は判明していません。

ただ僕の考えはキングダム最新話ネタバレ記事の方に記載させて頂いています。

そのヒントは?

以下キングダム最新話ネタバレ記事より引用!

過去にその惨たらしい光景を目の当たりにしたとき李牧は二つの事を考えました。

  • 私が討ち取られることが有るとすればその相手は桓騎である!
  • この男だけは決して長く生かしておいてはならない!

この二つの事の本当の意味が伏線としてこの肥下城の戦いで何らかの形で再現されなければならないと僕は思っています。

おそらく桓騎将軍が取るであろう最後の一手とは北の民を人質とした李牧軍ひいては趙国と北の民の離反策ではないかと考えています。

その中で窮地に陥っていく桓騎将軍は李信に後を託した後で命を絶ち、李牧の方はここでは生きながらえることになりますが政治生命を失うような事態を引き起こされるのではないかと考えています。

一緒にキングダムの進捗をしっかりと目に焼き付けて行きましょう。

 

桓騎は肥下城から逃亡する?

もう一つの説である桓騎将軍、肥下で死なない説はどうでしょうか?

  • 一方、『史記』廉頗藺相如列伝では大敗したのち、桓齮は敗走したと記されている。

実はもう一つ説があるのです。

  • 『史記』においてはその後の経歴は不明であるため、中国の歴史家楊寛は著書『戦国史』で、敗戦の処罰を恐れた桓齮は燕に亡命し、樊於期と名を改めたという説を唱えた。

桓騎将軍は肥下から逃亡し燕に逃れ樊於期と名前を変えた、とあります。

‐樊於期‐あの嫪毐の反乱軍の将軍だったオールバックの人ですね。

これはキングダムではありえないのでひとまず置いておきましょう。

 

まとめ

今回は、キングダム肥下の戦い史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?と題してお伝えしてまいります。

キングダムでは-カッコイイ-将軍の代名詞ともいえる桓騎将軍!

いよいよその命運が尽きようとしています。

しかしやはりここは秦国六代将軍の1人、ただでは死なず大きな功績と我々にあの王騎将軍と麃公将軍に続いて涙なくして見れない感動で李信に何を託すしてほしいなと思っています?

こちらもキングダム最新話ネタバレ記事で僕の予想を展開させて頂きました。

是非そちらも楽しんで頂ければと思います。

>>キングダム最新話ネタバレ記事はこちら!

それでは、キングダム肥下の戦い史実との違いは?桓騎は李牧に負け逃亡する?これで一旦終了とさせて頂きます。

キングダム最新話ネタバレ記事と連動して最新話が更新するごとに追記して参ります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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