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チェンソーマン

チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?

チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?
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今回のテーマは、チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?と題してお伝えしてまいります。

チェンソーマン待望のアニメ化が2022年10月11日からスタートします。

その直前になってOP主題歌が誰だとかやED主題歌が週替わりで全部違うとかポップアップストアー開催とかコラボカフェとか色んな雑音が聞こえてきます。

僕たちが興味あるのはそんなことじゃない!

本編のアニメ化がどこまで許されるのか?

原作漫画のグロ漫画の表現がどこまでリアルに再現できるのか?

原作漫画のガチグロなストーリー性がどこまで社会的に放送可能なのか?

そして一番はキャラの生き様や心の底から吐き出すような言葉の数々がどこまで許容されるのか?

そんなことなんですよね!

それでは、チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?早速始めてまいりましょう。

 

チェンソーマンのアニメ化は規制なし?

今回チェンソーマンのアニメ化のPointはいくつか有るようです。

100%のMAPPAアニメであること!

藤本タツキ先生がキャスト選定等の初期段階から深く制作に関与されている事。

原作者の藤本タツキ先生が深く制作にかかわることから、いわゆるアニオリ(アニメオリジナル要素)がふんだんに使うことが可能になった事!

つまりアニメ作りによくある制作委員会が無く制作会社と原作者の意見がダイレクトにアニメ制作現場に反映されるという事、これが必要だったのでしょうね!

 

チェンソーマンのアニメ化は不可能なのでは?

それによってストーリの再編がダイレクトに出来るというのがこのチェンソーマンという原作漫画をアニメ化するときに重要なプロセスになるのだと思います!

そう、皆さんも感じているようにのチェンソーマンの原作者藤本タツキ先生、天才肌過ぎると良く言われます。

そうなのです凡人には及びもつかない話の脈略が・ストーリーの展開が・ページ間の間合いが・・・皆さんも有りませんか2ページめくっちゃったかなと前のページを見返すこと?

 

チェンソーマンのアニメ化どこに規制が必要?

初めてチェンソーマンの原作漫画を読む人は話が散らかり過ぎで理解出来ないと言われる方が多いようです。

決してテンポ良く読める原作漫画では無いですね。

むしろ1ページめくるごとに自分の頭でストーリー立てを整理して行かないと話についていけなくないですか?

というより理解しながら読み進めるにはデンジの気持ちになりきるしかないというか、完全にデンジの主観で描かれているところがあり過ぎてデンジに感情移入できない人は苦手みたいです。

だから、チェンソーマン原作漫画のアニメ化は規制で縛るとかではなくむしろ客観的視点で話を再編しないと理解できないものになる危険があると思うのです!

ある程度のグロはわざわざ規制しなくても鬼滅の刃と呪術廻戦という前例が2つあるので、チェンソーマンの場合はキャラの設定をしっかりと視聴者に叩き込めばグロ表現は規制しなくても問題なしと思うのですがいかがでしょうか。

 

チェンソーマンのアニメはグロくて怖いけど大丈夫?

チェンソーマンの原作漫画のアニメ化はグロ表現の規制より、デンジ視点の主観の展開から視聴者が理解せぬままに先に話がだけが進まないように視聴者視点で客観視できるように再編が必要なのではと説明してきました。

読書好きの人が良く行間を読むと言いますが、チェンソーマンの原作漫画はページ間・コマ間を読んで行かない理解が取っ散らかって、戻って見直さないと前に進めない所が多くありませんか?

実はチェンソーマンの原作漫画が持つテンポ感が、読者とデンジの一体感を強く感じさせてくれることでファンの皆さんはクセになっていくのだと思います。

でもそんなファンの皆さんでもチェンソーマンの原作漫画をそのままアニメ化したらよく分からないストーリーになってしまうような気がしませんか?

またチェンソーマンがよく分かりづらいと言われるのには、悪魔や魔人という存在の定義があります?

子供のころから聞きなれた当たり前すぎる言葉故に、一般の日本人が持っている悪魔とか魔人いう言葉のイメージとちょっと違うような気がするのです。

むしろ日本人が持っている八百万の神々に近いような気がするのですがいかがでしょうか?

味方にも敵にも悪魔がいて、唐突に次から次と○○の悪魔が飛び出してくる。

最初は次々と登場する悪魔に中々脈略を見つけることは出来ないのではないでしょうか?

それはやっつけて殺してよい存在なのか敵と味方の境界が分からぬままに惨たらしくグロな表現が出てくるのが、結果ちょっと無理をいう方が多いようです。

 

チェンソーマンのアニメ化どこが不安?

チェンソーマン原作漫画のアニメ化にあたり一番の不安要素はそこでした。

グロそのものの表現は先輩のグロ作品と比較しても大丈夫な許されるレベルではないかと思います。

ただストーリがよく分からず、良いのか悪いのか分からないうちに凄惨なグロな戦いが展開して行くのは一般うけしないように思います。

一つ一つの戦いに強い意味づけをしていった方が一般受けするのではないでしょうか?

そのような意味合いで一般的なアニメや映画の作り方で、製作委員会が原作漫画をそのままのページの流れで1クール12話駆け抜けても、ストーリーを理解しないままに3ヶ月が過ぎるのではないかという危惧出てきてそこが不安になっていくのです!

 

チェンソーマンのアニメ化どこが無理?

それを解消するには原作者の藤本タツキ先生が直接行間を繋ぐためのアニオリを制作会社であるMAPPAと提携しながら構成して行くのがベストなやり方のだと思います。

原作漫画だと2巻の中頃で初めて出てくる銃の悪魔も、既にアニメの予告に出て来ているように敵の序列で先に持ってきた方が分かりやすいとか?

最初の場面でデンジがバラバラになってごみ箱に捨てられる意味がよく分からなくて無理とか?

次から次と出てくる○○の悪魔ことがよく分からないうちに凄惨な場面に直ぐ変わってしまって無理とか?

ポチタの‐私はデンジの夢の話を聞くのが好きだった‐という重い言葉にも、デンジはまだそれほど夢を語っていなかったたりして無理―とか?

そんなところを藤本タツキ先生とMAPPAのタッグでチョット一般のうけ狙いかもしれませんがアニオリで紡いで行ければ晴らしいアニメ作品に仕上がっていくのではないでしょうか?

 

まとめ

今回は、チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?と題してお伝えしてまいりました。

チェンソーマン原作漫画はある意味とても難解な漫画だと思います。

そしてぱっと見、チェンソーマン原作漫画はグロな表現にばかり目が行きがちでもあります。

アニメ化に際してもグロな表現に規制が必要ではないかと言われたり、あまりの凄惨はシーンの連続にアニメ化は無理ではないかとも言われてきました。

このチェンソーマンの原作漫画をアニメ化するというのは作品にとってもファンの皆さんにとっても良いことなのかはまだ未知数です。

おそらくはチェンソーマンのアニメ化には一般受けするための大幅な再編成とかアニオリを入れ込んでくる可能性が大きいです。

その制作体制が冒頭に説明した政策委員会無の100%MAPPA制作&原作者の藤本タツキ先生のタッグなのだと思います。

そこを期待しつつ、チェンソーマンのアニメ化は規制なし?グロくて怖いけど大丈夫?この辺で終わりにしたいと思います。

最期までお読みいただきありがとうございました。